悪いのはカフェイン?珈琲?

 

悪いのはどっち!カフェイン?珈琲? 

 

 

結論としては、どっちも、とんとんいい勝負では?と思ってる。

コーヒー離脱後5か月を経過したわけだが、(2016・10・20現在)

今だから言えることがいくつかあるのでそれを披露したい。

コーヒー離脱しようかと思案中の方の、多少なりとも参考になれば、うれしい。

 

実は、当初、完全にコーヒーを断てたわけではなかった。

99・9パーセントカフェイン除去という珈琲豆を発見し、しばらくはこれを飲んでいたのだ。

なぜならば、朝の儀式

(豆をさらさらさらと計り、豆を挽く、ハンドドリップする、芳香を味わい、色を愛で、そして朝の空または朝焼けを眺めながらようやく最後に戴く・猫さんを膝に乗せて。)

を一気に全部無くしてしまうのは、あんまり自分が可哀想、と思ったから。

僅か10分程のルーティンではあるが、人生の楽しみのかなりの部分を占めていたので。

でも、カフェインレス豆なら大丈夫。同じことをしても、本物のコーヒーとは全然違う。カフェインレスですから。ですから。

 

で、ところがなのだが、約1か月経過後にどうしても断れずにクライアント様の事務所で、インスタントコーヒーを1カップ戴いてしまったのだった。

「俺のコーヒーが飲めないのか」という感じで断れず。というか、事情を説明するのが面倒だったので。実は、本当は飲みたかったのか?(次は何があっても断るよん!)

 

インスタントなら大事には至らないかも、と高をくくっていたアタシはお馬鹿さん。飲んで間もなくカフェイン効きはじめ、ほとんどたちどころに、もう、ハイテンション。アドレナリン放出、気持ちの良いことこの上なし。

あああ、これこれ、この感じ。この高揚感!このドーパミンマックスな感じ。突っ走りのドライブ感!!

 

仕事場に帰り着くや否や、溜まっていた書類仕事および面倒仕事、複雑仕事をスイスイ片付け、カフェイン効いてる間に、とばかりに雑用の数々を瞬く間に仕上げてしまう。

恐るべし。スーパーウーマン。

これで何十年もやってきたのだったら、それはもう、重篤な病気にもなる、睡眠障害も当たり前、突発性難聴にもなる、ハイパー過ぎるよっ!

 

で、一晩眠って(4日分くらいの労働量だったので、たっぷり充分に疲れたらしく、睡眠障害はなかった)、

新しく爽やかであってほしい朝が、さて、どんよ~り、と始まったのだった。

 

ひどい眠気が既にある。目の奥の方に、頭痛の予感が鎮座している。後悔先に立たず。

間もなく本格的に頭が重くなり、痛くなり、激しい眠気とともに、一か月前の離脱時と同じ疲労感がやってきた。頭痛い。身体重い、動かない。目の奥痛い。ホントに、ホントに、コーヒー恐るべしである。

 

次の日も、眠くて頭痛。身体重いことこの上ない。ううう。

その次も、眠くて頭痛。夜に眩暈が。ベッドの上で眩暈うううう。

そして4日経過後、ようやく、元の元気な体になった。ううう。

 

貴重な教訓。

もう、絶対、コーヒーは飲まないよ!!

 

さて、カフェインは、紅茶にもチョコレートにも入っているのだ。

出かけた折に、カフェなどで、白湯というわけにもいかないので、当初、紅茶をチョイスしていたのだが(追記;近頃牛乳を解禁したので、ホットミルクをオーダーできるようになったのが有難い)

紅茶を飲んだ時は、さほどの高揚感もない代わりに、翌日翌々日のひどい症状はないんだね。ただ、夜、眠りずらかったり、(寝つきが悪かったり、夜中または早朝に目覚める)翌日にけっこうな眠気が襲ってきたりが苦しいのだけど、コーヒーの時のようなひどい頭痛や引き込まれるような倦怠感はないのだ。

 

これは単にカフェインの量、含有量の問題なのか。

 

で、一日中外出の日に、3カップ紅茶を飲んだ日があった。翌日は紅茶を飲まないので、昼前から予想通り激しい眠気。でも、頭痛はなし。ぐったりの疲労感なし。

 

ということは、ひょっとしたら、コーヒーには私には合わない何かの成分が入っているのではないかな。

人によって持ってる腸内細菌とかホルモンの分泌量とか結構ちがうという近頃の研究あり。ほかの人はともかく、私には、どうもコーヒーは、やばすぎる感じである。

それがカフェインレスであっても、本質的には変わらないのではないだろうか。

いやいやカフェインの除去されたコーヒーは既にコーヒーではなく、本質も何もないわけなのだが。

 

そして恐ろしいのは、ある日、珈琲が心の底から恋しくなった時に、手元に以前と同じ抽出用の器具がスタンバイしてるというのは、いかがなものか。

さらに、そうした朝の儀式、習慣に支配された状態を放置しているということは後戻りする可能性から目を背けているのと同じなのではないのか。

そもそも無意識のうちにそれ(珈琲漬けの暮らしに戻ること)を期待して、敢えて、ノンカフェインなどという選択をしたのではないのか。

デンジェラス。。。

で、常に決断するのは、迅速である。

 

ノンカフェインのコーヒー豆を、捨てた。さようならの朝。

ミル、ドリッパーも、一緒に廃棄した。夏の終わりの午前8時30分。

 

ありがとう、ずうっと守ってくれて。

loveと書いて感謝とルビをふる。loveだよっ、love

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