コーヒー離脱その顛末~1

 

コーヒー離脱その顛末~1

 

それは昨年2016年5月15日、日曜日の朝。

明るくなっていく空を眺めながら、人生で最後となる珈琲を味わった。

 

冷凍庫から豆の袋を取り出し、電動ミルに適量を移し、スイッチを入れる。

蓋をし忘れて、豆をそこら中に散乱させたことを懐かしく思い出す。確か、2回。

まさかこんな日が来るとは思いもしなかった、珈琲との長い長い蜜月を

涙ながらに思い起こす。

この朝で最後にしよう。

そのことは決めていた。

 

珈琲をやめることを決意したのは3日前のことだが、

離脱症状の激烈さについては基礎知識があったし、

さらに、ネット検索して禁断症状との付き合い方についても十分学んだため、

いきなりやめるのは危険ということは承知していた。

 

激しい眠気及び頭痛、

どうしようもないほどの倦怠感、焦燥イライラ感に襲われる、

社会人として使い物にならなくなる可能性があるらしいので、

大事な用がある日にかからないようにする、などなど。

了解。

 

なので、大事な予定をこの二日で消化し、

明日からは特に多忙ではない、通常業務が数日続くので、

本日をもって珈琲終了、を決意したという訳だ。

 

そもそもこのようなことになったのは、

3日前、始めたばかりの新しい瞑想(超越瞑想TM)の先生が、私をじっと見て言ったのだ。

「akaibaraさん、珈琲はお好き?」

インド産の珍しいコーヒーでもごちそうになれるのかと思わず身を乗り出し、

食欲が発動したのが今となっては微笑ましい。

「大好きです」

と答えた、珈琲漬けだったakaibara。。。

(なんとまあ可愛いもんじゃあありませんこと?)

 

「コーヒーを飲んでいると、瞑想は今以上に深くなりません」

 

松坂慶子を細面にしたような美人の瞑想教師の口から

さらっと怖いセリフが吐かれた。あんぐりと口を開けた珈琲フリーク。

 

想定外とはこのことで、これを知っていたら絶対にこの瞑想コースには参加しなかったはず。

しかし、このとき既に私の魂は、瞑想することの快適さを知ってしまっており、

その発言に抗うことができない状態となっていた。

教師の言葉は絶対だった。

 

今にして思う。

その瞑想のサイトにもしも一言でも

「珈琲等カフェインは瞑想の上達を妨げるので、受講の方は摂取を控えていただきます。」

との記述があったとしたら、果たしてこのコースを受けていただろうか。

 

時間あたりにしては非常に高額な費用、4日連続で受講という、

平日仕事をし田舎に住む者にとっては、そもそもがハードルの高いカリキュラム設定、

周りに経験者がいないので実際のところどうなのか、という不安(実はこれはあまりなかった。家族が心配していただけ)

これらを乗り越えた上で、さらに、珈琲もやめなければならない、

と予め教えられていたら、絶対に、受講してなかったであろう。

珈琲をやめるなど、いや、全くもって論外であった。

 

後日、(離脱後約7か月経過後)別の教師の方にこの話をしたところ、その教師は珈琲に対してそのような立場はとらないとのこと。

リアリ?やめない選択があったのか?

「無理に禁止しなくても次第に欲しくなくなるからです。

私も以前は飲んでいましたが、

そう言えば、もう、ずいぶん頂いてないですね」

なんと。

 

しかし、そういえば、今、全然、欲しくないのだ。

16か月経過した現在になっても、憑き物が落ちたように欲求が起こらない。

 

離脱時の症状がひどかったので、飲む気になれないのかと漠然と考えていたが、

瞑想を続けることで、

そのようなブースターが必要なくなったということなのかもしれない。

味や香りなど飲み物としての珈琲自体ももちろん好きだったが、

何よりも起爆剤というか、エネルギー補給のために飲んでいた部分が大だったので、

そのあたり、瞑想によって充分に補えているから、

もはや必要ない、身体が要求しない、ということなのか。

 

素晴らしい!

 

瞑想おそるべし!

loveべし!love!loveべし!

 

 

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