文章化することによって、過去の苦しさを追体験してしまうこと
だからいやだと思っていたのだが、どうしても記録として残したいと思ったので、
昨日私はコーヒー離脱時のひどい禁断症状について文書を書いたのだが。
書いてるそばから記憶がよみがえり、とりあえず書き終わったときにはもうどっぷりと
離脱当時の苦しい記憶がまざまざと思い起こされて、
どうにもこうにも気分が下がってしまって
不快である。
ネガティブは25パーセントくらいあった方がむしろ良いというような話を聴いたこともあるのだが、
この数日お天気も悪くただでさえ暗く湿りがちな心が、
15か月も前のことにこれほどに影響を受けているとは。
人間の想念のすごさ。
以前、余命宣告までされたガンから生還というか、13年経過で元気であるが、
手術当時はいろいろと記録を残し、いつか、闘病記を書くぞという気持ちがあったのだが、
がん、がん、と脳裏にいつもそのことが離れないと、
これはものすごく再発可能性を高めているのではないか、ということに思い当たったために
すべての記録、当時の日記を含めてすべて廃棄し、
たぶん、この研究所のおかけで生還できたというありがたい恩ある非営利団体からも
脱退した。
その団体から毎月送られてくる冊子(がんとの闘いの記録、傾向と対策)を読み続けるのが苦しくなったためであった。
しかし、今回、単に記録として、珈琲との別れの顛末は残したいと思ったのだ。
紛れもなく人生の一部であった。そして、珈琲を愛する気持ちは未だ健在だから。
Loveだよ、珈琲love