人を赦し、自分を赦すということ
敬愛する斎藤一人さんの言葉に、
「許したかったら、ただ許しますって言えばいい。それでも人を許せなかったら、そんな自分を許す、って言えばいい。自分を許すって言えばいい、許せない自分を許すって言えばいい」
というようなものがあり、とてもお気に入りの言葉である。
(しかも、これらの黄金のような言葉がyoutubeで無料で聞くことが出来る。
夢のようである。)
で、許す件であるが、
過去に何人かどうしても許せないという人がいて、許せないことによっていいことはひとつもないので、
何とかして許したいと思い、
忘れたいと思い、
(ほとんど忘れているのだが、何かのタイミングで現れてきて苦しみが生じる)
幾つかの方法を試してみた。
ただ、「許します」、と言うことは、言うたびに、
実は私はこの人を許せてないんだ、許したいというか、許すべきと思っているだけで、
さらにその状態を強く自分に言い聞かせているようなものなのではないのかな、
という思いがあって、
これらを言葉にした記憶はあまりない。
だが、この「許しますって言えばいい」、のフレーズは、
一人さんの声とともに何度も頭の中でリフレイン、リフレイン、しているうちに
何だかどうでもよくなってきたみたい。
ふと気づくと、
どうしても許せなかった人たちの、いったい何が許せなかったのか
思い出そうとしても何だか夢か幻の中の出来事であったかのように
とりとめもなく輪郭も不確かで、
これが老いるということなのか、、、
どこがどうだったのか、よく、思い出せない事態に。
あああ、、、、
でも、これが、許すということなのかも。
で、気持ちよく、言えました。
「○○、あなたを許します」
「▽▽、あなたを許します」
ある日の瞑想で、それらを気持ちよくマントラを唱えるがごとく心の中に漂わせていると、
がん!
天啓が。
許すって何なのか。
いったい何を、許すのか。
この自分が、他者を許すって、一体どうゆうことなのか。私は何者?
人を許すどころではない。
許してほしいのは、こっちじゃなかったのか?
霧が晴れるように脳裏に幾人かの顔が浮かび、
気持ちは充分わかってるから、もう、気にしなくていいから、安心していいから、
と言葉をかけてもらったのは、こちらの方だった
赦された、と、思った。
Loveですよ、love。