腕時計は、レディースサイズ。
長い間、腕時計は、メンズサイズを愛用してきた。
小物として大変に愛着のあるものであり、欠かすことのできないアクセサリーである。
そもそも腕時計を付けて外出する習慣が形成されたのは、高校生になった時だ。
それまでも幾つかの女性用の時計を贈られたことがあり、別にそれでもよいようなものだったのだが、
当時の美意識としては、
自分の手首に大きくごつい腕時計が嵌まっていたら華奢に見えてよいのでは、というものであったので。
当時は、今より10キロ近くグラマラスな体型だった。
もちろん、手首も太い。
父から外出用の時計をねだって自分のものとし、
そのメンズサイズを愛用した高校時代の3年間。
そのあと自分で買うようになってからも、メンズサイズ。
当時の美意識である。
そして、高校卒業後はどんどん手首が細くなっていったので、(若い時から老女の手首のように薄く、細い)
高さも大きさもあるメンズサイズはさらにその華奢さを強調して、
うーん、どうだったのか、
ま、当時の美意識であるので深追いはしない。
時は流れて、先般、
出かけた先で不始末があり、つけていたメンズの腕時計がそちらのお宅のテーブルにあたって、大きな音を立てた。
出かけた先は講師の自宅でのマナー講座。
あああ、しっかり、叱られ、その場で時計をはずしてバッグの中へ。お茶席みたい。
で、帰り道考えたのが、
これは大きな時計を付けているからテーブルにあたるのであって、
そろそろ女物を付けた方がいいという、天からの声なのではないか。
アマゾンで、お気に入りのメンズサイズのペアウオッチとして紹介されていた婦人用を購入。すぐに届く。
これがまた微妙なのだが、
いやいやいや、初めて買ったレディースサイズ。女の人みたいだ。
華奢で、壊れそう、玩具みたい、繊細、かわいい、小さい、
このようなものをこの私の手首に、似合うのだろうか。
しかし、装着するや否や、私は、自分が女の人だったことを想い出す。
信じられないくらいに、似合うの。
老女のような薄い手首に、これ以上はないほどの微妙な質感、色合いで、ジャストフィット。
あああ、知っていたよ、私はただの女の人。
Loveだよ、love