究極のアンチエイジングについての考察

究極のアンチエイジングについて考察する。

 1 まず病気をしないこと

これが第一歩にして、ゴールかもしれない。

 

かつて、面倒な病気のために一気に老け込み、

未だその時の病気による老化から回復できずにいるうちに、あれよあれよという間に、外見に年齢がマッチしてきてしまった。

ともかく、病気をすると一気に数十歳も年をとるのだ。

だから、女っぷりのいい40代とか50代とかいわゆる女ざかりの艶やかな時代

というものが、私にはなかったように思う。

昨今の、はつらつとして輝いているその年代の女の人たちを見ると、心から、

うらやましく思い、きれいだなあ、とため息をつくばかり。

 

だから、大人になってからというか30歳を過ぎてから難しい病気をした人にとっては言うまでもないことではあるのだが、

そんな経験のない人たちのために書く。

 

病気をしただけで、

その病気と闘うために、

そして、心身ともに回復していくために、

ものすごいエネルギーを使うのだ。

 

朝起きて、ベッドから降りて、窓を開ける、シーツと枕カバーをはがす、階段を降りる、猫を抱き上げて、機嫌をとる、やかんに水をくんで、お湯をわかす、紅茶を入れる、椅子に腰かけてメールをチェックしつつティ-マグを傾ける

以上の、ほぼ5分で出来るはずのことが、

途方もない時間を費やさないと出来ないといえば、

その消耗の激しさがわかるだろうか。

 

ま、上記の朝の儀式で1時間くらい。それも集中して行った場合である。

これらの合間に、不安とか恐怖とか迷い、時々の希望の煌めき、

そんなようなものと戯れる。

動きをとめたまま(動くのは辛かったりするので)白とグレーと漆黒、そして時々カラフルな意識の流れの中で呆然と立ち止まる。

30分位はあっと言う間である。

もう少し具体的にいこう。

 

・老けて見える

外見の衰えは内面の消耗と正比例。解説するまでもない。

入院やら手術などでの数日間にわたる食事コントロール(断食または流動食)で

栄養もカロリーも足りてないので体重はあっと言う間に4、5キロマイナス。

 

貴重な筋肉。貴重な脂肪。。。

十代、二十代のぴちぴち時代ならばいざ知らず、中年期にあっては、この4、5キロは何よりも大事であった。

一気に10歳以上老ける。

たるみ、皺、筋、そして実際に肉体的に辛いので(術後の消耗、痛み)

姿勢も猫背で骨盤後傾、お婆さんみたい。ふらふら歩く。

 

・老けて感じる

内面の衰えも大変なものである。

なにより、これまでの健康法というか、生活習慣に対し、

一気に自信がなくなるわけだ。

どこが間違っていたのかというよりも、よく考えてみれば、

このような生活習慣にもかかわらずこの年まで元気だったことの方が驚きに値する。

 

しかしそれは慰めにもならない。

心の底から、がっかりする。

希望が失くなる。

 

世界最強ストロングメンタルなどと、どのくちが言っていたのか、と呆然とする。

ほとんど呆然唖然としたまま時間が過ぎていくのだが、

今にして思えば、その時間に心が癒えていったのだ。

が、当時はそんなこととは知らず、ふと気づくと30分一時間が経過していて、

そんなにもショックだったのかと人ごとのように感じていただけだ。

 

また、呆然としていないときは、

これからどうなるどうする、という、お決まりの不安感と付き合う。

考えれば考えるほど不安というものは増大していくものだということを知る。

だが、考えないようにしようとしても考えなければいけない事は山のようにある、

ような気がする。

 

実際に考えていることは、大したことではない。治るのか。元通りの身体になれるのか。再発は必ずすると言われているが、それはいつなのか。そうしたら、またこのように摘出手術を受ける以外に手はないのか。こんな風で自営の仕事は続けていけるのか。高校生の息子はどうなるのか、仕事をやめたら、生活費はどのように工面するのか、なにやらかにやら、、、

でも救いは、長い時間は不安と向き合っていられないということだ。

ふと気づくと、弛緩しつつ呆然としていたから。

ともかく、建設的なことは考えられなかったように記憶する。

そして、今では全く読まないのだが、サイコスリラー系のミステリーを多読した。

それらを読んでいる時だけは、心から没頭していられたので、

弛緩しつつ呆然とすることもなく、不安に駆られることもなかったから。

 

・老けて感じる

頭の衰えも甚だしいのだ。

実際に、病気のことを考える時間が増えるためワーキングメモリが減少する。

新しいことが憶えられない。

少し前のことも忘れてしまった。

説明するのが異常にのろく、下手になった。

考えていることが言葉にならない。いやむしろ、考えていることが何だったのか、

思い出せないこともあった。

 

早発性の痴呆?

脳の萎縮?

大量に投与された化学薬品の副作用か?

 

たぶん、全身麻酔の副作用だったのか。

全身麻酔によって、身体の細胞が元通りになるのに、約1年くらいかかるという話だ。

 

私は、最初の手術から5か月経過後に再び全身麻酔による手術を受けたので、

このダブルの浸食はきびしいものがあったと思われる。

 

実に2、3年くらい、頭わるい状態が続いた。

脳梗塞の後遺症で言葉が中々出てこない人に遭遇したが、この時の私に似ていたと思う。

 

2 心は元気でいること

たとえ病気や老化による体力の衰えを感じたとしても、

たぶん最初に衰えるのは肉体なのであって、心まで衰える必要はない。

 

しかしながら、多くの場合、肉体が病めば心も同じように病んでしまうのではないか。

同じように、肉体が衰えれば心だけ若くいるというのは至難の業と思われる。

 

心と肉体は互いにフィードバックを行ってると思う。

どちらかだけが、健康であったり、若くあったりするのは困難だ。不可能とは言わないが。

 

しかし、それでも、心まで病まない事だ。

心だけは老いないことだ。

 

気持ちの晴れる音楽を聴こう。宇宙の高みを覗ける瞑想をしよう。

力を振り絞って、投函する勇気がなくても最愛の人にラブレターを書こう。

 

健康な心が、必ず、健康な肉体を創造する。

心と身体が相互に補い合って元気が回復するのだと実感しているが、少なくても、心が先に元気になり、肉体を先導するのは間違いない。

身体の方は物理的に経年劣化は仕方がないのかもしれない。

だが、不食の人たちが存在する以上、不老の人の存在を否定するわけにはいかないだろう。

脳も同じように、経年劣化は否めないのかもしれない。

心が脳にあるとしたら、心も老化していくのだろうか。心は不老か。

 

老化

鮮度が落ちる。酸化する。温度が下がる。元気がなくなる。乾く。小さくなる。固くなる。黒っぽくなる。冷たくなる。動かなくなる。

だとしたら、だとしても、せめて、

心だけは、

フレッシュに。温かく。元気よく。しっとりと。広やかに。

やわらかく。透明に。熱く。溌溂と。

 

3 エネルギーを高く保とう。 

それが、私たちを動かしている大本(おおもと)である。

エネルギーを浪費せず、補給して、その質を高いものに保つことだ。

そのためには、心を鮮度よく保とう。体には筋肉をつけよう。

どこかしら痛くても、何とかして自分の力で動こう。

そうなる前にどんなに面倒でも、がんがん運動をするのだ。

そして、最強のエネルギー補給術は次のとおり

 

4 せめて人の役に立とう 

何ができても何もできなくても、一日一回でもよいから、人の役に立ちたい。

片頬の一瞬の微笑みであっても。

「いつも悪いね」、のぶっきらぼうな一言であっても。

それは誰かの力になる。

そして、それが自分のエネルギーになる。

エネルギーを放出することで、新しいエネルギーが獲得できる。

自分の僅かばかりの存在が誰かの助けになったと感じること。これ以上に、自分の心を強くする方法があるだろうか。

 

5 ご自愛を 

人の役にたち、天からのお役目を果たす、人に対して愛を実践するには、

自分に対しても愛を実践したいものだ。

 

自分の器に愛が十分に満ちていなければ、

愛を実践していくことなんてできないだろう。

 

10代、20代の頃は、別に自分の心や肉体の機嫌取りをしなくても、

がんがん動いてくれたものだ。

 

数日連続で徹夜で遊ぶとか、食事も休憩も満足に取らずに仕事を終わらせるとか、

食事代わりにブラックコーヒーとチョコレートとか、

 

自分に対して今ではとうてい考えられない乱暴狼藉を働いてきたものだ。

 

そのツケをこれから払わなければならない。

 

 

人を傷つける言動をする人からは距離を置く、

付き合いが悪いと非難されるかもしれないが。

 

苦手な人間関係からは潔く逃げる、

義理を欠くかもしれないが。

 

辛いことがあったら、腹を括って、7時頃からベッドに入ってたっぷり眠る。

かっこ悪いかもしれないが。

 

消化器を労わるために、小食にする。満腹するまで食べるのは諦めよう。

際限なしにナッツを食べるのをやめる。ストレス解消は食べること以外で見つけよう。

 

自分を愛することは自分を甘やかすこととは少し、違う。

厳しい慈母の眼差しが必要になる。

泣きわめく子にジャンクフードを与えずに、上手に機嫌をとって、栄養たっぷりのシンプルな食事を与えるような感じか。

 

こうして、記事を書くのは簡単です。実行するのは大変だが。

 

アタシはてっとりばやくジャンクフードを与える派。

 

でも、早々に老け込むのはいやなの。

せめて、年齢相応に見られたい、一生、自分の脚で歩きたい。呆けたくない。

それだけだよ!

 

Loveですよ、love

 

カテゴリー: 日々の習慣 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です