レジャーとしての、ダイエット

 

レジャーとしてのダイエット

 

空恐ろしいタイトルで、始めてしまった。

本気のダイエットしてる人、ごめんなさい。

でも、どう見ても、日本で流行っているダイエットの類は、レジャーとして行われているとしか思えない。

 

「レジャー」 暇つぶし、という意味合いで使っています。

 

健康上の理由などによって、本当に体重を減らす必要のある人は、いったん目標体重を獲得したら、そのあとは何度もリバウンドを繰り返したり、という悲惨なことは起こらないのではないか。

 

あくまで、個人的な意見だが、健康的に体重を落として、それを持続させるというのが目的であるならば、基本はひとつ、なのでは?

 

今までよりも、少なく食べる

    今までよりも、多く運動する

 

そうしたら、一か月に一キロ

そうしたら、半年で6キロ、減量できる

しかも、絶対にリバウンドしない。

 

言うまでもなく、極端な食事はNGよ。 なぜならば、極端なことは継続することが困難であるから。

ダイエットは一か月、2か月の短期決戦ではなく、数年数十年、そして、一生涯継続するものであるはずだから。

一生、林檎ばかり食しているわけにもいかない。いくのかな?  嗜好の問題ばかりではなくて、健康上、問題はないのかな。

 

或いは、断食、とか。極端なものは避けた方がいい。

 

健康を害してしまったら、回復するのにダイエットどころではなくなる。

若いうちは多少の無理をしても回復も早いのだが、30代、40代、になったら、悲惨である。

特に女子の方。中年以上は、健康こそが、美貌の第一条件 であると心得よ。

 

もしも、これから始めようとしているダイエットまたは食餌療法が、良識ある人からみて、変、に見えるかも、という自覚があったら、

勇気ある撤退をお勧め。または、その道の信頼に足る指導者の監督のもとで行うことだ。

誰が信頼に足るのかわからなければ、手を出さないことこそを推奨します。

 

ほとんどすべての食事療法はいわば仮説のようなもの。

本当にあなたにとって、安全で効果が保証されているかどうかは、誰にもわからない。

いつでも異常を感じたら潔く撤退できる、そんな健康な精神のもとで始めてほしい。

 

それには、まず、身体の違和感を違和感と察知できる繊細な五官の働き、が必至。

 

昨日よりも足が冷えているのじゃないか。

お腹がすうすうさみしい感じで冷たくなってきたのじゃないか。

前からこんなに、頭が重かったっけ?肩ってこんなに動かなかった?

 

そんな感じで、身体の違和感~異常に一刻も早く気付ける自分でいることよ。

それが、大事。気づけば、あとは、勇気ある撤退へと。

 

聞きかじりのマクロビオティックで、硬い玄米と、メープルシロップが山のように入ったマクロビスイーツで体を壊した人は、たくさんいる、らしい。(そうでない人もいます)

糖質制限ダイエットで、炭水化物を一切やめて、代わりにお腹いっぱいになるまで肉を食べ続けて、以前より体重が増えて、血液検査の数値が悪化した人もたくさんいる、らしい。(そうでない人もいます)

ヴィーガン(厳格な菜食主義 乳製品も魚も摂らない)生活を数年間続け、優しそうだけど、生気がなく弱々しく病気がちになった人も大勢いる、らしい。(そうでない人もいます。たぶん。)

 

いずれも、本人が望んでそうなったのであれば、全然OKでしょうが、

おそらく本人は、いずれも、単に、体重を落としたかったから、流行っていたから、セレブのあの人が実行していたから、

などという他愛のない理由でその食事療法を始めたはず。

(わざわざ不健康になりたい人はいない)

身体に異常というか、違和感が生じた時点で引き返せば、そこまで悪くなることもなかったはずなのだが。

 

副反応とか瞑眩とかいうのもありますな。

数日たっても改善の兆しがなければ、好転反応なのではなく、単なる、体調悪化ととらえた方が良いのではないか。

このあたりは、指導している人でも見極めが難しいので、自分の身体に聞いてみるのが一番と思う。

 

「これは好転反応、心配ないよ」と指導者に言われるがままに何年か経過し、

ふと気づくと、考えられないほど体が弱くなっていた、という人を知っている。

 

また、「好転反応だから経過するのを待つだけ」と言って、

どう考えても食餌療法の誤りなのに、

それを認めず不調を何年もそのままにしている指導者を知っている。

 

もっとすごいのもありますね。

 

水をたくさん飲む、林檎を好きなだけ食べる、バナナを一日何回も食べる、こんにゃくをたくさん食べる、パイナップルだけを食べる、etc…

 

極端なダイエットに走る人、または、ダイエットに失敗する人の心の在り方というものを考えてみると、

 

1 基礎知識の不足

・一気に勝負をつけてしまえば、以前の食習慣・生活習慣に戻ってもその体重を維持できると、思っている

・体重だけを減らす魔法の食事または食材、あるいは薬があると信じている

・なんとなく気分で流行りのもの、テレビでやっていたものに効力があると思い込んでいる

・無理な食事制限が健康に害を及ぼすことがあることを知らない

・仮に健康被害があったとしても、自分は大丈夫なはず、と根拠のない思いがある。

・または、焦眉の急であるところの体重さえ目標値になれば、多少の被害は全く問題ではない、なぜならばそのような被害からは数日で回復するだろうし、恒久的な悪さをしてくるものではないはずだから、という希望的観測

 

2 目的がはっきりしていない

・痩せた~い、というノリのあなた!

・友達がやっているので、なんとなく

 

3 (これは上記1、2とは趣が違うのだが)実は、自分がそれ(ダイエットに成功した暁に手に入る健康または、美貌)に値すると思っていない。

・一見、「痩せたいのよ~」と本気にみえる発言をするが、深層心理では実はダイエットが成功してしまうとまずい、と思っている。

成功してしまうと、ここまで便利に使ってきた言い訳が通用しなくなるために、ダイエットが必要な状態であり続けることが最重要なことなのだ。何よりもまずいのは、本人自身がこのことに気が付いていないこと。

故に、ダイエット成功、というタイミングで、   手を抜く。  体調を崩す。

・ひと時成功したとしても、潜在意識が、リバウンドするように働く。

・もしくは、妙なダイエットには片っ端から手を出すのに、

「地道に成功するダイエット」(少しだけ食べる量を減らし、少し余分に運動する)

これだけは、断固として行わない。

 

いずれにしても、食習慣、生活習慣を変えずしてのダイエットはあるわけがない。

ただ、どうしても三日坊主になりがちな私たち。本当にダイエットする気があるのであれば、適切な助言をしてくれる人をそばに置いてはどうか?

一気に勝負をかけて、10キロ、落としたはいいが、あっという間に15キロリバウンド、のパターンが多すぎ。

コーチを頼むとか。高額なパーソナルトレーナーにお任せする。などは選択肢としてはどうだろう。

お金はかかるにしても、成果は、ひとりぼっちで挑むのとはまるで違うはず。

 

しか~し、何よりかにより、健康に優る美容術はありません。

単なる暇つぶしでダイエットをやってたかも、とお気づきのあなた。

所詮、暇つぶしなので、極端なダイエットは3日坊主で終わらせて。

時間の無駄。たぶん。

 

きちんとした目的のあるあなた、

あなたこそ、健康な体、美しい体にふさわしい。

あとは、元気で輝かしい美貌を手に入れた自分を、

さくっと心の底から受け入れるだけ。

loveだよっ love!

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悪いのはカフェイン?珈琲?

 

悪いのはどっち!カフェイン?珈琲? 

 

 

結論としては、どっちも、とんとんいい勝負では?と思ってる。

コーヒー離脱後5か月を経過したわけだが、(2016・10・20現在)

今だから言えることがいくつかあるのでそれを披露したい。

コーヒー離脱しようかと思案中の方の、多少なりとも参考になれば、うれしい。

 

実は、当初、完全にコーヒーを断てたわけではなかった。

99・9パーセントカフェイン除去という珈琲豆を発見し、しばらくはこれを飲んでいたのだ。

なぜならば、朝の儀式

(豆をさらさらさらと計り、豆を挽く、ハンドドリップする、芳香を味わい、色を愛で、そして朝の空または朝焼けを眺めながらようやく最後に戴く・猫さんを膝に乗せて。)

を一気に全部無くしてしまうのは、あんまり自分が可哀想、と思ったから。

僅か10分程のルーティンではあるが、人生の楽しみのかなりの部分を占めていたので。

でも、カフェインレス豆なら大丈夫。同じことをしても、本物のコーヒーとは全然違う。カフェインレスですから。ですから。

 

で、ところがなのだが、約1か月経過後にどうしても断れずにクライアント様の事務所で、インスタントコーヒーを1カップ戴いてしまったのだった。

「俺のコーヒーが飲めないのか」という感じで断れず。というか、事情を説明するのが面倒だったので。実は、本当は飲みたかったのか?(次は何があっても断るよん!)

 

インスタントなら大事には至らないかも、と高をくくっていたアタシはお馬鹿さん。飲んで間もなくカフェイン効きはじめ、ほとんどたちどころに、もう、ハイテンション。アドレナリン放出、気持ちの良いことこの上なし。

あああ、これこれ、この感じ。この高揚感!このドーパミンマックスな感じ。突っ走りのドライブ感!!

 

仕事場に帰り着くや否や、溜まっていた書類仕事および面倒仕事、複雑仕事をスイスイ片付け、カフェイン効いてる間に、とばかりに雑用の数々を瞬く間に仕上げてしまう。

恐るべし。スーパーウーマン。

これで何十年もやってきたのだったら、それはもう、重篤な病気にもなる、睡眠障害も当たり前、突発性難聴にもなる、ハイパー過ぎるよっ!

 

で、一晩眠って(4日分くらいの労働量だったので、たっぷり充分に疲れたらしく、睡眠障害はなかった)、

新しく爽やかであってほしい朝が、さて、どんよ~り、と始まったのだった。

 

ひどい眠気が既にある。目の奥の方に、頭痛の予感が鎮座している。後悔先に立たず。

間もなく本格的に頭が重くなり、痛くなり、激しい眠気とともに、一か月前の離脱時と同じ疲労感がやってきた。頭痛い。身体重い、動かない。目の奥痛い。ホントに、ホントに、コーヒー恐るべしである。

 

次の日も、眠くて頭痛。身体重いことこの上ない。ううう。

その次も、眠くて頭痛。夜に眩暈が。ベッドの上で眩暈うううう。

そして4日経過後、ようやく、元の元気な体になった。ううう。

 

貴重な教訓。

もう、絶対、コーヒーは飲まないよ!!

 

さて、カフェインは、紅茶にもチョコレートにも入っているのだ。

出かけた折に、カフェなどで、白湯というわけにもいかないので、当初、紅茶をチョイスしていたのだが(追記;近頃牛乳を解禁したので、ホットミルクをオーダーできるようになったのが有難い)

紅茶を飲んだ時は、さほどの高揚感もない代わりに、翌日翌々日のひどい症状はないんだね。ただ、夜、眠りずらかったり、(寝つきが悪かったり、夜中または早朝に目覚める)翌日にけっこうな眠気が襲ってきたりが苦しいのだけど、コーヒーの時のようなひどい頭痛や引き込まれるような倦怠感はないのだ。

 

これは単にカフェインの量、含有量の問題なのか。

 

で、一日中外出の日に、3カップ紅茶を飲んだ日があった。翌日は紅茶を飲まないので、昼前から予想通り激しい眠気。でも、頭痛はなし。ぐったりの疲労感なし。

 

ということは、ひょっとしたら、コーヒーには私には合わない何かの成分が入っているのではないかな。

人によって持ってる腸内細菌とかホルモンの分泌量とか結構ちがうという近頃の研究あり。ほかの人はともかく、私には、どうもコーヒーは、やばすぎる感じである。

それがカフェインレスであっても、本質的には変わらないのではないだろうか。

いやいやカフェインの除去されたコーヒーは既にコーヒーではなく、本質も何もないわけなのだが。

 

そして恐ろしいのは、ある日、珈琲が心の底から恋しくなった時に、手元に以前と同じ抽出用の器具がスタンバイしてるというのは、いかがなものか。

さらに、そうした朝の儀式、習慣に支配された状態を放置しているということは後戻りする可能性から目を背けているのと同じなのではないのか。

そもそも無意識のうちにそれ(珈琲漬けの暮らしに戻ること)を期待して、敢えて、ノンカフェインなどという選択をしたのではないのか。

デンジェラス。。。

で、常に決断するのは、迅速である。

 

ノンカフェインのコーヒー豆を、捨てた。さようならの朝。

ミル、ドリッパーも、一緒に廃棄した。夏の終わりの午前8時30分。

 

ありがとう、ずうっと守ってくれて。

loveと書いて感謝とルビをふる。loveだよっ、love

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大事なのに見逃されがちな、ドローインの奇跡

 

大事なのに見逃されがちな一つのこと

それはズバリ、ドローイン

すべてのエクササイズの基本の技

 

ドローイン。それは、ざっくり簡単に言うと、お腹(臍)をへこますということ。

そして、ポイントは、なんと、この状態のままエクササイズを行うのだ。

すなわち、そこの筋肉をオンにしたままで、いろいろ筋トレとかやるということね。

 

お腹をへこます。おへそを奥に引き込むような感じ。肛門も体内に引き入れるような感じ。

そしてこのままで、あれこれエクササイズ、やる。

 

ドローインし続けることの必要性・重要性については、体操でもバレエでもゴルフでも、なんでも同様だと思う。なのに、きちんと言葉にして教えてくれる先生は滅多にいませんな。

 

おそらく、彼らまたは彼女らにとっては、言葉にするまでもないことで、呼吸をするように当たり前にできてしまってることなのね。

だから、普通の一般人にとってはそれが当たり前でないことに気づいていない。ので、そのようには(理解できるようには)教えることができない。たぶん。

 

ただ、一般の普通人の中でも頭のいい人や、運動神経のいい人、観察力のいい人(自分とお手本のパフォーマンスを比べて、その違いが何に起因しているかがわかる、ということ)は、おそらく自ら修正ができている。

 

そうでもなければ、ドローインしないでエクササイズを続けた場合、怪我や故障を起こしがちだし、おそらくパフォーマンスも向上しないであろうから、つまりはその道から足を洗う、ということになるであろう。

 

このことに気づいたきっかけは、たぶん、ピラティスとヨガを教えている先生から、だったと思う。

それも、ドローインの仕方と、そのままで腹筋運動をする、という流れを教えてもらっただけで、他の動作の際にまで必要だとは、おっしゃってはいなかった気がする。  なかなか、一を聞いて十を知るのは困難である。。。

 

なのに、自分で気付いたの!

観察力に少々問題があって、滅多にこうしたことに自分で気付くことがないのだが、これはさすがに、

でかした、

と誉めたい!

 

ドローインしたままでバレエとか、筋トレとかをすると

ものすごく楽にできる。しかもちゃんとできる。ぐらぐらしない。それっぽく見える。

で、ようやくここで気が付いたのが、先生達が、「お腹を締めて」とか、「胴体は四角いままで」とか、「脚を上げるときはふとももではなく腹筋を使ってね」とか、

気持ち的にはわかるけど実際にはどうゆうことを言われているのかよくわからなかったこれらの指示が、

全部、一気に、腑に落ちた。

 

これらはバレエの時の話なのだけど、例えば、スクワットにしても、ラジオ体操にしても、ドローインしてやるのとそうでないのとでは動きや効果が全然違う。

ドローインしないでスクワットなど続けたら、てきめんに腰痛を起こしてしまう。

 

ついでに言ってしまうと、どうも、そもそも体幹力が著しく貧弱みたい。

友人と一緒に歩いていて一人だけ足音がうるさいとか、部活で同じようにトレーニングしているのに一人だけ少し歩くと脚が疲れてしまうとか、同様に一人だけ腰を痛めやすいとか。。。

これを機に人並みの体幹力を手に入れよう。

 

これまで美容体操としていろいろ試みたこの数十年間であったのに、大した効果を得られてなかったのは、

この体幹力の弱さ及びドローイン問題があったのだな、と激しく確信したのだった。

 

そして忘れてはいけない。ウオーキングの時も同様であるのだ。

 

体幹が弱いばかりではなく、若い頃から内臓下垂で情けなかった私である。

(18歳の時には、胃が骨盤あたりまで下垂)

 

ですが、ウオーキングの際にドローインを忘れずに行うことで、どんどん下垂が改善されている実感が。

 

恐るべし、有難し、ドローイン!!

 

だから、希望は捨てずに。

Loveですよっ。Love!!

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視覚化による、現実の創造

 

視覚化による、現実の創造

視覚化~ヴィジュアライゼーション~visualization

 

それはもう随分と昔のこと。

 

ある国家試験のための勉強を、何年も何年もしていた。

で、不合格のたびに絶望してその道を諦めるのだけど、家族やスポンサーが許してくれず、というか励ましてくれたので、何年もかかったけど、何とか合格することができたのね。

でも、励ましてもらっただけでは先細り。

どんどん歳をとっていくわけだし、美貌(!)にも陰りが見えてくる。

何より、繰り返し繰り返し自分の能力のなさを突き付けられるって、結構、ハードな経験だったのではないかな。

ないかな、どころではなくて、大学受験の時はたくさん言い訳できたけど、この国家試験については、言い訳の仕様がなかったのだね。

時間がないとか、お金がないとか、そういう言い訳が使えないってこと。

能力がない、のが唯一の理由である。

運がないとは、これはさすがに口にすることができなかったけど。

・・・真実は人を傷つける。

 

で、先細りの話だけど、ある日、インドの人が書いた本を読んで、未来のあらまほしき状態を脳裏に浮かべるワークというのをやってみた。

 

試験合格したら、こんな事務所を借りて、こんな風に内装をやって、

こんなクルマを買って、こんなスーツで仕事をするんだよっ!的な。

 

特に、事務所の設計というか、インテリアには気合がはいっていた。

南向き玄関。こんな風にデスクを5個並べて、私の席は一番奥の大きなデスク。

背中に本棚を2個。窓は大きく左右にたっぷりあって、そこはペールブルーのブラインドを下げる。入り口には背の高い観葉植物を2本。

その向こうに大きなカウンターを置いて、背中側のドアを開けるとキッチンと洗面所、左手のドアを開けると畳の部屋(着替えたり休んだり金庫を置いたり)

割と大きな通り沿いで、宣伝代わりに大きな看板を2個出そう。

こんな感じで、見取り図は何度か書き直し、時として崩れそうになる自分を叱咤激励の技。これを2年。

 

そうしておかげさまで合格ののち、さて、事務所を借りるために、めぼしい物件をみせてもらうことになった。

 

最初は、2階にある、エステサロンをやっていたという店舗。

なんとなくパステルピンクと白、ゴールドの内装で、シャンデリアが煌めくような豪華な感じ。女性相手の店舗だっただけに、洗面所もきらびやかに装飾が凝っているし、天井も高く、きれいでともかくいい感じ。強いて難を言えば、2階にあることくらい。

都市部では、このような事務所がビルの高い所にあるのは当たり前だし、確率的に言っても1階に事務所があるほうが珍しいかもしれない。しかーし、開業予定であるこの地方都市では、2階に(というか2階だけに)こうした事務所があるのは、かなり珍しい(特に、これは20年以上前のハナシなので。)

で、当時、新人研修でお世話になっていた先輩事務所にお伺いを立てたところ、即、却下。

理由は、2階にあるのも問題なのだが、(お客様が入りにくいから) 外へ続くドアがひとつしかないこと。

防犯上、というか何かあったときに、逃げられないから。(怖い、、、)

 

で、次の物件。

けっこう築年数のいってる国道沿いの店舗。

古さを除けば必要条件は満たしているので、開業予定日まで時間もないことだし、ほとんど即決。バタバタと契約をして、ばたばたと事務所備品を購入し、そのようにして開業準備の日々が過ぎたある日。

ふと気づけば。

 

そこは、なんと、夢見ていたというか、設計図を引いた事務所と同じ間取りだった。

ま、ありがちな設計図なのかもしれないが。でも、引き寄せたの!視覚化で。

 

ですが、心残りというか、実に傑作、と思うのが、駐車場の件で。

 

駐車場はあれば良し、くらいの条件で探したのだったが、予想見取り図の方は、そもそも駐車場のことを計画してなかったのだね。

ここでしっかり書き入れていれば、もっと充実した駐車場の付いた店舗が手に入っていたかもしれない。

 

で、数年後、駐車場が狭くて不便、というお客様たちからの声に応えるようにして、新しい事務所に引っ越し。

これが今いる事務所なのだけど、駐車場所でお客様を困らせたことがないのが自慢っ!

 

それがどこかというと、またこれが、視覚化でめでたく引き寄せた話なのだが、こちらも、国家試験不合格の長い長い日々のこと。

とあるテナントビルの新築現場の前を車でよく通っていて、開業するときはここがいいなと、かなりお気に入りの物件があったのだが、まさにその店舗だったの。

 

だが、ビルが完成しても試験には合格せず、幾星霜。(約4、5年くらい)

そうこうしてるうちに同業他社の事務所が入居してしまい、夢はその時点で消えたはず。   なのに、

いやいやいや、人生何が起こるかわかりません。

 

その同業他社事務所は、なんと、廃業するとのこと。

なので次の店子を探している、という情報がダイレクトに入ってきたのだった。

うーん、ナイスタイミング。

心に強く思うことは実現する、とかいう成功法則があったかもしれない。これも執着が過ぎるとだめ、とかルールがあるようだけど、視覚化は絶対おすすめ。

 

たぶん、ポイントがあるとしたら、

 

ほんとにそれを本心から望む、

にも関わらず執着をしない、

細部に至るまで詳しく視覚化、

と同時に、

うれしい気分でさらっと軽やかに願うことが肝要かと。

 

loveだよっ。LOVE!

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本当の気持ちよさを、あなたはまだ知らない

 

本当の気持ちよさを、あなたはまだ知らない

 

いつもしていることが私にとって、或いは、その人にとって当たり前のことなので、

わざわざそれを疑ってみたりはしないものかもしれない。

 

問題が生じない限りは。

 

例えば。

 

一日3回食事をとる

(お腹が空いていなくても3回。)

 

夜、就寝前に入浴をする。

(朝の方が気分が上がるかもしれないのに。夜。だけ。)

 

自分を追い込むような運動を毎日する

(くたくたでも毎日する、絶対する。死んでも、する)

 

一日中、デスク仕事

(アスリートだった時代は忘却の彼方。稼ぐため生きるため)

 

太陽をがんがん浴びる

(皮膚がんになりそうになっても浴びる日焼けはそもそも問題外)

 

ノリのいい音楽を大音量で流す

(耳が疲れるのだが、音楽がないと仕事も掃除も捗らないむしろ静寂が恐怖)

 

ハードなベジタリアン。乳製品もなし。

(ほんとはね、お肉を食べたい日もあるの。最後にミルクティーを飲んだのはいつだった?)

 

絹のパジャマで眠る

(裸で眠るのは、どんな感じ?)

 

例えば。

夕食を抜いて、水分だけ摂って、とっととベッドに入って即、眠ったことがあるのだが。

あんなに気分のいいことがあるだろうか。

その時の目覚めの爽快感は、比較するものもちょっとないくらい。

 

それは、ハードなハードな一日の終わりのこと。

月末でそもそもハードな仕事のスケジュールを倒れそうになりながら消化したあと、隣の町で何かの会議に出席し、そのあとで、いつもの鍼灸整体の先生のところで100分の施術。

思えば、会議と整体はパスしてもよかったのだが、当時は、スケジュールが変更できる、とは考えたこともなかったのだ。

 

で、その時に、体調悪くもないのに夕食を抜く、ということは全く前代未聞なことだったのだが、ほんとに、そこからの帰り道、一瞬でも気を抜くと眠り込みそうというか車を運転するのもやっとという状態だったのだが、朦朧としながら必死で必死で考えて、ベッドまでのミッションを検討。

 

寝る前に必ずしなければならないこと。

 

1 猫さんの餌をやる。

2 自分の水分を補給する(朝から多忙で、よく憶えてないがひょっとしたら昼ご飯も食べてないかもなので)

 

この二つだけを頭の中で繰り返しながら必死の思いで帰宅して、

 

1番完了

2番完了

ミッションコンプリート!

 

それでも、着ていたスーツを脱いだ!(偉いぞ!ハンガーにかければ更によしっ)

 

そのままベッドへ。

寝落ちである。

 

 

 

この時にしなかったことは、

 

夕食食べる

歯磨く

化粧落とす

シャワー浴びる

パジャマ着替える

猫さん遊ぶ

メール等チェック

新聞読む

目覚ましアラームセットする

就寝前のストレッチまたはヨガ

読書する

 

こんなに。たくさん。たくさん。。。

 

病気の時には当たり前なのだろうが、単なる疲れを理由に寝る前のタスクをしないことって、この時が初めてで、まだ2回目はない。だけど。

 

夕食を抜いて、水だけ飲んで眠る。

 

これが信じられないほど、気持ちがいい。

 

夜8時過ぎに就寝して、目覚まし時計なしで、翌朝8時過ぎに自然覚醒。

 

ぐっすり眠った感があって、全身の細胞が若返ったというか、生き返った感じで。

幸せでしたね。

 

たぶん、普段は夕食の分量が多いのだと思う。

 

たまには、「夕食抜きでとっとと眠る」をやってみたいのだが、なかなか、食欲があるのに食事を抜くのは辛いものがありますな。(食い意地ともいう)

そしてそれを例えば月に2、3回とか実行できたら、どんなにか身体は楽になるだろう。

 

ホントの気持ちよさを、私はまだ知らない、かも。

loveだよ、love

 

 

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コーヒー離脱後5か月を過ぎて

2016年10月19日の記録

コーヒー離脱後5か月を過ぎて

 

珈琲をやめた直接のきっかけは、瞑想の先生に、

「コーヒーをやめない限り、それ以上瞑想は深くなりません」と言われたから。

当時かなりの珈琲フリークだったため、それをやめろというのは死ねというも同じ。でも、ほんの数秒の逡巡ののちに、やめる決心をしたわけだ。

 

それというのも、始めたばかりの瞑想がすっかり気に入ってしまい、更なる新しい世界を見たいと思ったから。

そして、そればかりではなく、そもそも当時、いくら何でもこれはコーヒー飲みすぎでは、と自分ながら危機感を抱いていたから。

思い当たるような体調不良があった訳ではない。ただ、常に疲れやすく、消耗していた。そしてたぶん夜間も、交感神経の過剰な興奮が収まってない感じだった。

 

ずーっと遥か以前から珈琲を愛飲するようになっていたので、そして一日4、5杯を飲むようになってあまりにも久しいので、そのことが疲弊しやすい体質と因果関係があったのかどうかはわからない。

そもそも疲れやすいと軽く一口で言っているが、

それは体質なのか、性質なのか。心の姿勢なのか。

 

いずれにしても数年前に、「焙煎済みの豆を買い、その都度自分で挽いて淹れる」という贅沢を憶えてからは、もう、手放せなくなり、嗜好品ではなくて生活必需品であった。さらに、通販でいろいろ試した結果、とびきりの芳香と誂えたような苦みをもつ芳醇な豆と出会ってしまって以来、消費量はうなぎのぼり。

朝の一杯に期待しつつベッドを離れ、次の一杯を励みにウオーキングをし、更なる一杯に憧れつつ仕事をこなし、明朝の一杯を楽しみに眠りにつくという、、、、

もともと濃い珈琲が好きなので、普通の珈琲に換算するとたぶん日に10杯近く飲んでいたのではないかな。

珈琲なしでは夜も日も明けぬどころか生存も危うい感じ。心の支えであり、日々の糧と言っても過言ではなかった。

 

で、離脱。

 

数十年前までは、コーヒーは身体に悪いことばっかり、という扱いだったところ、どうしたことか近年は、

寿命が延びる、アンチエイジングにいい、ある種のがんを遠ざける、ダイエットにいい、アスリート向けの飲料である。うつ病に効く・或いはかかりにくくなる等々等々・・・ いいことばっかり。

 

おそらく一日に1、2杯ならばよかったのかも。

あくまで、かも、である。

 

結局何が最良であり、最悪であるかは、人それぞれだと思うに至った今日この頃。

 

少なめに見積もっても、「幸福の源泉」ともいうべき珈琲、それをあのような苦労をしてまでやめなくてもよかったという気がしないでもない。

未練かな。

しかし、

「瞑想が深くなる」「心身の根深いストレスをリリースする」

そのことはその時の最優先事項だった。

加えて、大量摂取で心身ともに消耗・疲弊しきっていたから。

 

コーヒー飲むと元気になるので、気持ちも非常に明るく前向きになるので、そうでないときは即、その魔法の液体のお力を借りる。必要が生じるたびに何度も。何度も。就寝直前でも。

それはまるで、動かなくなった身体または精神を「鞭打つ」、という表現がぴったりだ。

余力がない状態なのに無理やりに薬剤投入によって動かす。疲労感は奇跡のように雲散霧消し、活力と気力がよみがえる。

だがそれは、偽物の高揚感。本当は疲労困憊しているのに。。。

 

で、離脱。

 

離脱してみて、どれほど体に負担をかけていたか、実感できた。

 

疲れた時は、休息しろ、という心身からのサインなのに。

カフェイン投入して「もっとがんばれ!」というのは、まるで、自分を奴隷扱いをしているようなもの。

 

このことを心の底から納得するのに、数週間かかった。

 

身体がほんとに楽だ。

 

直観力をつかう仕事の人はカフェインやめましょう、と何人かの先達から言われていたのに、半信半疑。

というよりは、それほど負担になっているという危機感がなかったからだし、珈琲をやめることは死ねというも同じ、と本気で信じていたから。

 

やめてみて、本当に人生を生き始めた、という実感があり。

 

瞑想している時も、芯からゆるむ感じがあって、どんどん根深いストレスから解放されていると思う。

 

心もほんとに楽だ。

 

今となっては懐かしくも遠い昔、五か月前、厳しい離脱症状(禁断症状)のなかで、以下のようなことを考えた。

 

コーヒーをやめると、いいことがたくさんあります

白髪が減り、しわ、しみ、たるみが減少し、肌はしっとり透明感が戻り、

皮膚は白く、唇や頬はバラ色に、身体はしつこい疲労感から解放され、ぐっすり眠れるようになり、精神は安定し、静寂と平安の中にいられるようになり、いつも機嫌よく、TMはものすご~く深くできるようになり、直観力がさえわたる。

 

実は一気にやめると非常に苦しいのでだんだん減らしていくほうがよい、と言われていたのだが、それは私にとってはむしろハードル高いこと。

なので、半死半生の思いをするのは想定内。離脱症状、覚悟の上というか、自業自得である。

だったけど、あれはもう二度といや!!!

もしももう一度する破目になったら、3日くらい入院して、点滴受けながらやりたい。

自力でやるのは、しかも、仕事を続けながらやるのは、自殺行為だったかも。

 

でも、生還したぜよ。

ばんざい。Love。

 

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ただ、うれしい人

 

 

用もないのに、うれしい!

そんな人にわたしはなりたい

 

それはまるで、太陽のよう

 

 

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メリークリスマス!!!!!

メリークリスマス!

世界最強ストロングメンタル!

本日は大文字で呟く 。

LOVE

 

 

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オー、リアリイ? と言ってみた件

実はここ数ヶ月スカイプで、英会話をレッスンしています。

よその国の人と仲良くなりたいと思ったもので。

で、実に一回25分のレッスンが、昨夜で93回目。この93回目にして初めて、オー、リアリイ?と

本物のように自然に口をついて出ました!!

 

これは、肩をすくめて両手を広げてよくアメリカ人がやっていそうなポーズと一緒で、恥ずかしくて、ちょっと言えないセリフではないですか ?

私は、とてもこればかりは言えないと思っていたのに、いちど言ってみると、まあ、恥ずかしさはあるにしろ結構言えるものです。昨日のレッスン中に4、5回は使ったと思われます。

わはははは。

オー 、リアリイ?

現実でした。

 

羞恥心のその先に、一歩前進した感がありました。

確かな手応えというのか、達成感というのか

侮れじ。

オー、リアリィ?

love

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あなたにすべての良きことが 雪崩のように起きます

朝から異様に元気な私です。

長い人生の中で近頃ほど元気に朝を迎えられてる時期はなかった、と今更ながら思います 。

多少鬱傾向があったのか、かつての朝は気分が少し重い 。

珈琲を飲んだり、猫に遊んでもらったり、1日の中での楽しい予定を思い出してみたり、ストレッチを試みたり、大体1時間から下手をすると仕事場に行くまで気分が変えられないこともあったほど。

ところが、

 

斎藤一人さんの本を読んで、タイトルに挙げた言葉を知りました。

知っただけです。

 

これを自分以外の人に対して心の中で言っていた頃はそれほど劇的な変化をかんじることはできませんでしたが、

ある日、たまたま、自分に対して

「わたしに すべての良きことが雪崩のごとくに起きます。」

とつぶやいてみたところ、

 

どうしたことでしょう

激しい動悸、

ではなく、

 

半端ない

突き抜けるようなワクワク感が!

 

あのワンフレーズが、体内の何かの化学変化を促すらしく、

すごいです。

 

で、翌日たまたまですけど、

起き抜けに目覚ましの音が聞こえたと同時にこの言葉が頭の中できこえました。

 

ああああ!

 

一気に心は世界最強ストロングメンタル!!

以来、目覚めると同時に、心の中で高らかに宣言。

「わたしに、すべての 良きことが雪崩のように起きます」

ひとりさん、love

自分love

 

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